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技と俳句道

九月の最高点句 (九点)として、およその参加者の半分が次の句を選んだ。

靴脱げばさらさらと夏こぼす   作者=堀毛美代子さん

上五、中七まではさらさらと展開。座五を「こぼす夏」か「夏こぼす」で、作者はかなり推敲されたと思う。

「こぼす夏」とすると夏にこぼすことになり、伝統的で平和だが日常的で凡庸な句となりインパクトは弱そう。また類句は無数にありそう。

そこで一転、「夏こぼす」にするとゴツゴツし、頭は倒錯するがその分、句の世界はがらりと変わり、凡庸でなくとてつもなく深まりそう・・・と。

「こぼす」は他動詞で「夏」は目的格か主格となり、人間にはできない「夏をこぼす」

あるいは「夏はこぼす」となり、凡庸に砂をさらさらとこぼしているだけではなく、象徴的、超現実的な奇妙な次元に入るように思える。

このような置き換えやもっと奇抜な組み合わせにより受け手を驚かせる技法《デペイズマン》は、二十世紀初頭、第一次世界大戦の矛盾、非合理、不安、不信のうずまくヨーロッパで始まった。社会的にも芸術的にも行き詰まった伝統的価値観の否定が始まり、絵画や詩が作られた。いわゆるダダイズムは、エロ、グロ、ナンセンスからシュールレアリズム(超現実主義)が流行となり世界に広がる。

この技法《デペイズマン》は日本の俳句界にも広がり「玄鳥」においても、奇を好む人がある。しかし、わが新家先生はここを見落とさず「砂さらさらとこぼす夏」となめらかなナチュラルに戻し、見た目本位の奇抜さ「遊び」をやんわりと指導された。

その先師・拝星子先生は、技では剣豪となった宮本武蔵が佐々木小次郎との闘いでは剣を使わず「人を生かす」剣の道へと変身・成長していく過程のエピソードを繰り返し繰り返し話され、書かれた。そして目を眩ませるのではなく、人と自然の融合した俳句の本道を見失わず、「五七五に命を懸けて磨け」と諭された。

拝星子・新家両先生の根幹的な教えは、今一度しっかり噛みしめ、生かしていきたい。

 俳句や短歌において、類想と類似句を完全に避けることは不可能である。そこで、藤原定家以来、二句までは「本歌取り」として同じ語句を使うことを認めてきた。

前掲の句は

次の石川啄木の歌の「本歌取り」かもしれない。

  いのちなき のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ

ふるさとの山や砂をこよなく愛した啄木の歌の「本歌取り」として読むと「さらさらとこぼす夏」としても余韻は深い。(玄鳥篠山 石田宇則 2012-9-4)

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